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災害の歴史

九十九里平野の地形

 九十九里平野は、千葉県の東部、太平洋沿いに細長く続く幅約10kmくらいの平野です。ここは、北部にある銚子と屏風ヶ浦の海岸を削った砂と、南部の太東岬方面の海岸の砂が、沿岸潮流によって砂丘をつくりながら広がったものです。
 地形は海岸線に平行して波状に起伏し、主に高い場所は宅地、畑として、低い場所は水田として利用されこれが交互に連続しています。
 土は火山灰が一般ですが、南部にいくほど砂分が多くなっています。

九十九里平野の農業用水

 九十九里平野の水田に使う用水源は、河川、ため池、浅い用水池等ですが、その量は不足し、また、雨のみが水源の水田(天水田)も多くありました。
 天水田は冬期間の用水を田植えに利用し、その後の用水は降雨に依存するという原始的な水田です。
 河川は栗山川、木戸川他がありますが、流域は小さく、森林地帯も少ないため干ばつ時には水が不足する状態でした。
 ため池は大きな人工ため池は少なく、水田に水をためた程度のものですが、干ばつ時には頼りになりません。

 右の表は九十九里平野における水田の水源別水利状況をまとめたもので、天水田の比率が高いのがわかりま す。
 上段:面積ha 下段:割合%   
 
香取・匝瑳郡
山武郡
長生郡
ため池
235.4ha
6.5%
2,050.7ha
24.2%
658.3ha
25.0%
2,944.3ha
20.1%
河川水
2,117.2ha
59.0%
4789.2ha
56.7%
167.4ha
6.5%
7,073.8ha
48.3%
雨水(雨)
1,230.4ha
34.5%
1,602.1ha
19.1%
1,798.3ha
68.5%
4,630.8ha
31.6 %
3,583.0ha
100.0 %
8,441.9ha
100.0 %
2,624.0ha
100.0 %
14,648.9ha
100.0 %
九十九里平野の農業被害
 両総用水がくる前の九十九里平野では、安定した水源が無いため、たびたび干ばつの被害を受けています。(表−1)は、昭和15年の九十九里平野における干ばつ被害面積をまとめた表ですが、全体で54%、南部の長生郡では実に91%の被害を受けています。現在では想像できないような被害状況です。
 一方、干ばつによる被害とは別に湛水による被害も被っています。干ばつと湛水の両方の被害を受けるとは一見矛盾すると思えますが、これは九十九里の波打つ地形によるもので、降雨が続くと低い土地に湛水し、傾斜が緩いため、すぐに排水できないことによるものです。
 (表−2)は昭和16年の湛水による被害状況ですが、干ばつと湛水の被害はほとんど同じ場所で発生しています。
  このように九十九里平野における稲作は、干ばつと湛水害により非常に不安定な状況でした。
(表−1) 昭和15年の旱害状況
郡別
水田
総面積
被 害 の 割 合

収穫皆無
換算被害率
不能
皆無
7割以上
5割以上
3割以上
3割未満
匝瑳郡
ha
180.4
ha
0
ha
2.5
ha
8.8
ha
9.8
ha
11.6
ha
18.0
ha
50.7

12.9
山武郡
8,441.9
2,522.3
123.2
310.6
328.9
429.3
809.2
4,523.5
40.2
長生郡
2,624.0
2,106.1
81.8
97.8
101.1
105.2
132.0
2,624.0
91.2
11,246
4,624.4
207.5
417.2
439.8
546.1
959.2
7,198.2
54.4

(表−2) 昭和16年の湛水による被害状況
郡別
水田
総面積
被 害 の 割 合

収穫皆無
換算被害率
不能
皆無
7割以上
5割以上
3割以上
3割未満
匝瑳郡
ha
180.4
ha
0
ha
8.1
ha
7.3
ha
24.2
ha
36.9
ha
55.5
ha
132.0

24.1
山武郡
8,441.9
0
42.7
335.4
808.0
1,384.9
2,143.6
4,715.4
18.7
長生郡
2,624.0
0
54.5
118.3
288.2
290.2
939.2
1,690.4
22.3
11,246
0
105.3
481.0
1,121.2
1,712.0
3,138.3
6,537.8

15.3

沿 革
はじまり

 昭和8年、9年および15年の大かんばつを契機に、九十九里地帯のかん害地への用水補給と利根川沿岸の佐原市周辺の排水改良をあわせた両総用水事業が、昭和18年農地開発営団事業として着工され、昭和22年に農林省の国営両総用水農業水利事業として行われることになりました。かくして、昭和40年9月に幹線水路工事が完了し、また、昭和27年度に国営付帯県営事業としてスタートした支線用排水路工事も昭和48年3月をもって完了しました。
 本土地改良区設立の経緯は、昭和16年3月千葉県両総用水改良事業期成同盟が結成され、同年7月両総用水期成同盟連合会が組織されました。昭和19年1月に香取郡、匝瑳郡、山武郡、長生郡を受益地とした第1、第2、第3、第4両総普通水利組合が設立され、さらに、昭和26年1月に第1、第2、第3、第4普通水利組合を合併、両総普通水利組合が組織されるが、土地改良法施行による組織変更によって、昭和27年7月、今までの水利組合を改めて、名称を「両総土地改良区」として誕生しました。(認可番号・千葉県第152号)

 
 
年 表
昭和16年
(1941)
7月、関係四郡の町村長の援助のもと、両総用水期成同盟連合が結成される。 (会長・十枝雄三)
県当局は、両総用水の事業を決定、事業費は県予算を上回る約2,000万円。
 しかし、政府は、事業費が膨大なこと、事業期間の長期にわたることを理由に、国営事業として承認しなかった。
 
利根川左岸上空
【利根川左岸上空から】

かんぢきとサマシタ
【かんぢきとサシマタ】

土地改良前灌漑
【土地改良前かんがい】

昭和天皇行幸
【昭和天皇行幸の様子】

西部幹線工事
【西部幹線工事の様子】


【水路橋建設の様子】
昭和18年
(1943)
2月、農地開発営団の新設によって、この事業として両総用水が採択される。
4月、佐原に事務所を設置、測量・設計などの業務を開始。
7月、起工式を行い、排水路の掘削(くっさく)に着工する。
昭和19年
(1944)
両総四郡にわたる関係農民は、一糸乱れぬ結束のもと事業に邁進、両総普通水利組合を結成。第1組合(香取)・第2組合 (香取・匝瑳)・第3組合(山武)・第4組合(長生)。
排水路および排水樋門工の掘削と取り付け工事を実施、人力による掘削のため進捗は少なかった。
昭和20年
(1945)
1月、両総普通水利組合連合が結成される。
戦争とインフレのため工事を中止。終戦直後も資金難・資材難で、工事は一時中止。
昭和21年
(1948)
6月6日、天皇陛下行幸。佐原市水郷大橋畔で、事業遂行に関して御下問。
両総用水事業、公共事業として 認可。5カ年にて、北部から南部まで幹線疎通計画決定。
11月、南部幹線起工式(東金国民学校)。
昭和22年
(1947)
3月29日、東金隧道起工式(東金国民学校、31年12月貫通)
10月以降、農林省の直轄事業となるも、予算等の制約があって、事業の進捗には苦難の連続であった。
昭和24年
(1949)
7月30日、佐原の第2排水機場竣工式。
昭和25年
(1950)
9月、アメリカの対日援助見返資金より5億円交付決定。予算額は6億円となり、事業は本格的な全面着工の体制に入る。
11月、第1排水機場竣工式。
11月16日、第1揚水機場起工式(佐原第2高)。
昭和26年
(1952)
1月、第1、第2、第3、第4の各普通組合を合併、両総普通水利組合が結成される。
4月、両総支線事務所を東金に設置(のち工事事務所、管理事務所)。全地区内の現地調査を実施。用水15支線、排水2支 線の総延長143.824キロメートル、総事業費14億1,100万円の計画をまとめ国に提出。
昭和27年
(1952)
6月、水利組合を組織変更して両総土地改良区を設立。初代理事長には、能勢剛が就任。
両総支線土地改良事務所設立。(東金市)。
昭和30年
(1955)
事務局長、庶務課、会計課、事業課、の3課および佐原、多古、東金、本納、の4出張所制をとり組織の充実を図る。
昭和32年
(1957)
7月、東金までの幹線の通水試験。
昭和33年
(1958)
4月、利根川の異常渇水で水田8,000ヘクタールに塩害発生。両総用水の応急通水。この塩害問題から利根河口堰の建設へと発展する。
昭和34年
(1959)
茂原に支所を設置。第3導水路工に着手。
昭和41年
(1966)
両総土地改良事務所設置(東金市)、県営支線工事施工事務を担当。
昭和46年
(1971)
幹線水路の共用協定が設立。これを基礎に「房総導水路」事業が開始される。
昭和48年
(1973)
両総用水管理事務所(両総土地改良事務所を組織変更)。
昭和49年
(1974)
4月、県営事業により造成された土地改良施設の維持・管理が、土地改良区に委託され、その実務は各支線委員会が担当。
昭和52年
(1977)
7月、九十九里地域水道企業団、通水開始 。
12月、両総用水第1揚水機場管理所完成(土地改良区佐原出張所跡)。
昭和61年
(1986)
4月、調査室を新設し、見直し事業に向かって体制固めを図る。
平成3年
(1991)
11月、両総用水事業推進協議会を発足せしめ事業の推進を図る。
平成5年
(1993)
地元説明会を1〜2月に開催し3月の通常総代会の議決を経て施設更新事業の施行申請をする。
平成9年
(1997)
6月臨時総会において国営両総土地改良事業変更計画概要が承認される。
平成10年
(1998)
4月、新第2揚水機場の運用開始。
11月4日、国営両総土地改良事業変更計画が確定される。
平成12年
(2000)
第1揚水機場工事に着手
平成14年
(2002)
東部幹線用水路工事に着手
平成15年
(2003)
2月、利根川両総水門改築工事に着手
7月、第1排水機場工事に着手
平成16年
(2004)
第3揚水機場工事に着手
平成17年
(2005)
4月、第1揚水機場の運用開始。
7月、利根川両総水門、第1排水機場の運用開始。
平成19年
(2007)
4月、第3揚水機場、東部幹線用水路の運用開始。
平成22年
(2010)
1月、両総地区土地改良事業(農業用用排水施設の管理)計画の変更が認可される。
平成26年
(2014)
4月、栗山川統合機場の運用開始。
平成27年
(2015)
3月、国営両総農業水利事業完了。

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